Tales of Lunathic ――第四話

破滅と出立


「一時の施しを、ファーストエイド」
 治癒の魔法。だが、稚拙。死に行くものに、その程度の治癒は無意味。
 ――あの惨劇を目撃してからおよそ5時間が経とういうころ、私は100人目の救えなかった亡骸を数えた。
 亡骸だけを数えれば、見渡す限り存在する。というよりも、この5時間で生者と死者の山は死者だけの山へと変わった。
 雨が、降り始める。あの地響きから5時間の間に、まだ息のある者をレイドに捜させ、自分は治癒を続けたが、助けられたのは数名、私の前で息を引き取った者は100名、天に召されたものは視界いっぱい……。体力もマナも尽きた今は、もはや座り込んでただぼんやりするだけしかできなかった。
 レイドが、私のそばに立って、傘をさすように盾をかざし雨よけをしてくれている。今は盾に隠れて見えないし、生存者を捜している時も私には見せないようにしていたようだが、彼も明らかに憔悴していた。
「レイド、いいよ。私は、雨にぬれても平気だから。あなたも休めばいいじゃない。疲れてるでしょう?」
 言ってから、この惨劇を見て「休めばいい」と言えた自分に驚いた。先ほどまでは休むなど考えるどころか、何も考えずに救助活動をしていたのに。
 ――私の心が、なによりも憔悴しているらしい。
「……姫様、私は、」
 先ほどまでずっと黙っていたレイドが私に盾をかざしたまま口を開いた。
「私は、自分の無力さが呪わしい」
 尻すぼみになっていく言葉。軽い嗚咽も聞こえる。
「呪わしい、か。……そうね、私も自分を殺したいわ」
 両足を抱くようにして、自嘲気味にいう。
「なんで彼らが死んで、私が生きているのか、私も死ぬべきだったんじゃないか……こういう場所にいるとそう不思議になれる、そのことが不思議なの」
 もう、私自身、何を言っているのやら。
「ねえ、レイド。あなたの考えでいいから答えて。もし私に、もっと力があったら――こんなことにはならなかったと思う?」
「……この5時間の姫様の働きぶりを見ればわかります。ですから、それは姫様の覚悟ひとつでしょう。これ以上は、申し上げられません」
「ずいぶんと優しくて、素直で――意地悪な言い方ね」
 くっくっくと自嘲する。でも、レイドの言い分はきっと正しい。
「そう、私には力が足りなかった。ただの一小国の王女ってだけじゃ、なにも変えられない」
 私は、何を思いあがっていたのだろう。一小国の王女であるだけでは、たった数人を助けるのでさえ精一杯なのに、どうして数千数万の人を救い養い守れるというのか。
「不安を照らし消しなさい、ソウルブライト」
 わずかに回復したマナで魔法の光を灯す。
 自分とレイドに治癒の魔法をかけ体力を少し取り戻した頃に、聞きなじんだ馬の鳴き声と蹄の音が聞こえてきた。視界の隅に、月馳の葦毛色が見える。
 私のもとに駆け寄ってきた月馳の首筋をなでてやると、喜んでいるのだろう、月馳は頭を下げた。
「この馬、姫様の馬でしたか」
 月馳を眺めながらレイドが言った。
「レイド、知ってるの?」
「ええ、要塞の兵士宿舎の窓から、この馬に乗ろうとして暴れられて転げ落ちた人が何人もいるのを見ました。始め見た時はひどい暴れ馬かと思いましたが……こうしてみると、落ち着いていて風格もある名馬ですね」
「……この子が生まれたとき、母馬が死んでね。それで、私と妹で面倒を見てきたの。だからかな、私たち以外の人が乗ろうとすると暴れるんです」
 鞍に足を駆け月馳の背にまたがった。
「私は一旦国に戻ります。レイド、あなたは?」
「王宮騎士団も無くなってしまったようですから、姫様の護衛を続けとうございます。よろしいでしょうか?」
 レイドは今一度、跪いてそう言った。
「そう、それじゃ早く乗りなさい。私が乗ってる限りこの子は暴れないから」
 そして、私はレイドに手綱を任せてイミュロウジへ向かった。


―――――

 二日後、イミュロウジに戻った私を待っていたのは、まさしく悪夢だと、そう思う。

 ――イミュロウジの王宮と街は、一昨日に見た街道のあの惨劇とまさしく同じように、ぷすぷすと煙と音をたてて燃え落ちていた。
 街の中央通りに立てば、どちらを向いても視界に死体が転がり、それを恐れて空を見上げても家屋の燃え残りが燃える煙が黒々と空を覆っている。
「何……これ? なんでここが、こんなことに……」
 通りの真ん中に立ってつぶやく。傍らのレイドをみれば、やはり同じく愕然としている。
 と、通りの先、王宮の門の所に入っていく二人組を見つけた。
「すみません! これは一体なにがあったんですか?!」
 私は駆け寄りながらその二人に声をかけた。若い夫婦のようだ。
「姫様! ご無事でしたか! よかった、姫様の身になにかあったらどうしようかとおもっておりました」
 夫らしい男が私を見るとすぐにそう言った。
「それで、この惨状は?」
「モンスターと人の混成軍に一昨日襲撃を受けたんです。国王様と近衛兵たちが率先して戦ったのですが、なにぶん国軍のほとんどは先のアスティア進攻に割かれてしまっていたので撃退はできず……それでも、国民のほとんどが避難できたことは幸いです。これも、国王様と近衛兵たちのおかげです」
「それで、お父様と避難した人たちは?」
「峡谷入口に近い洞窟です。私たちもそこへ向かいますからご案内します。ついてきてください」
「ありがとうございます。――レイド、ご婦人の荷物を持って差し上げて」
 夫と妻が歩き出すのに、私とレイドはつきそった。
 戦禍の跡を見ながら、私は漏らす。
「国を守れなかったこと……王族として申し訳なく思います」
「そんな、姫様……私たちは、むしろ誇りに思っておりますのに」
 身軽になって私と並行して歩く奥さんが口をあけた。「今回も、国王様は私たち国民の避難を最優先してくださりました。それは今回のことだけではございません。祖母の代からいつもいつも、イミュロウジの国王様のことをお聞きするときは民思いの王様と聞かされております。確かに……はじめこの襲撃を受けた時は王族を恨もうかとも思いました。なぜアスティアに攻め込むのか、私たちの間でも不思議でならなかった。ですが、私たちを避難させている時の国王様たちの戦いぶりを見るとやはりそう思うのは間違っているのではないかと思いなおしまして。だって、そうはいないでしょう、民を逃がすために率先して敵に向かって戦う国王というのは。
 ……はぐれ者の集うこの国の民として、これほどうれしいことはございません。ですから……こんなになってしまっても、私たちは国王様と姫様の味方ですよ」
 私に言えることなど、何もなかった。ただ、ありがとうとだけ涙ながらに伝えた。
 
―――――

「お父様!」
 洞窟の奥、机の上のランプの明かりに照らされて、お父様とアトダスクの顔が見えた。
「おおルナ、無事だったか……アスティア侵攻軍が壊滅したと聞いた時はどうなる事かとおもったが……」
 駆け寄る私に、お父様は背を向けた。
「お父様?」
「お前にもアークにも顔向けはできん」
「見くびらないでください。私とて、覚悟の上でした。お父様を責めることはいたしません。それより、現状は?」
「近衛兵と民兵に多数の死傷者は出ましたが、残っていた国民の約8割の避難に成功しています」
 背を向け続けるお父様に変わり、隣にいたアトダスクが説明を始めた。
「失ったものは王宮と街だけです。犠牲は大きいですが、国家として崩れたわけではありません」
 説明の最後にアトダスクはそう付け加えた。
「それで、この襲撃とアスティア災害の原因は?」
「……現在調査中です」
 アトダスクがそう答えた。が、
「ブラームだ」
 お父様が話に割って入った。「ブラームが鍵を握っているはずだ」
「やはりその者に話が行きますか」
「ルナは知っているのか?」
「具体的なことは何も。ただ、アスティア侵攻軍指揮官はその者と繋がっているようです」
「ではどうします? 調査隊でも結成して派遣しますか?」
 アトダスクがそう提案する。
「だめだ。それほどの兵力はここにはない」
 しかし、お父様はそれを棄却した。「それに、ここにいる者だけでブラームに挑むのは危険だ。どれほどのものかすら見当が付いておらんのだぞ」
 お父様の意見はもっともだった。この洞窟には負傷者2百名弱、別の洞窟4つと湖畔のテント数棟には一般市民が総勢4千人、さらに一時的に自らの集落・部族に戻れたものが3千人前後、しかしその中に戦闘訓練を受けたものは一握りしかいない。もしまた襲撃を受けたらそれだけで全滅しかねない勢力だった。
 だが、一刻も早く襲撃してきた勢力を突き止め、それを止めないことには、再度襲撃される恐れもある。
 手はひとつだった。
 私は未だ背を向け続けるお父様の後ろに片ひざをついて座り込み頭を下げた。
「お父様、私、イミュロウジ第一王女ルナティック=イミュロウジは家訓に基づき、今より流浪の旅に出立いたします。どうか祝福のほどを」
 イミュロウジの王位継承者は即位までに一度、流浪の旅に出ねばならない。これは、イミュロウジ建国時代から続く家訓であった。
 私はそれを使い、外の世界へ出ることにした。
「……すまないな、ルナ」
 お父様の声がする。どこか嗚咽混じりだ。
「お前には、自分から言い出さずともこの役目を任せようと思っていた。ブラームに対抗するなど、あまりにも危ない橋をお前に渡らせようということで、私はお前の命と国家の存亡を秤に掛けてしまった。つくづく、アークにもお前にも合わせる顔がない」
 そう言って、お父様は少し奥に進み、布に包まれた棒状のそれを手に取り、顔を伏せたまま私のほうに向きなおった。
「これを、持って行け。以前から、お前が旅に出るといったら持たせようと思っていたものだ」
 差し出されたそれを手に取り、布を剥ぐ。
 未来を見据え神託を告げるといわれる杖、アイオブオラクル。それがそこにあった。
「これ、お母様の……」
「アークの加護があるといいな」
 ――そう言ったきり、私が出立するまでお父様は黙り込んでいた。

―――――

「姫様」
 洞窟を出ようとするところに、レイドと一人の僧侶が跪いていた。
「レイドに、……緋沙音。どうしたの?」
「私たちをお供に連れて行っていただきたく思い待っておりました」
 傍らの緋沙音が言った。緋沙音とは、私の世話係としてもう結構な付き合いになる。
「……危険な旅よ?」
「つまりは、姫様の身が危ないということ。私のような未熟者も、姫様の盾にはなれましょう」
 レイドの言葉にためらいはないように聞こえる。緋沙音の目もそのようだ。
「死ぬ覚悟は?」
「できております」
 私と二人の、簡潔な、それでいて完全なやり取りだと、自分でも思った。
「じゃあ――早く馬を用意しなさい。すぐに立ちます」
「はいっ!」
 二人の声がダブって聞こえた。そしてすぐさま立ち上がって、簡易厩のほうへ駆けてゆく。
「それじゃ、お父様のことはお願いします、ダスク」
 私は背後に立っていたアトダスクに声をかけた。
「了解しました。――この命に代えても、サン様を守りこの国をお守りする所存であります」
 そう言って、アトダスクは恭しく頭を下げた。

 空を見上げると、また夜空。
 月は見えない。新たな月のようだ。

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