第三話 脱獄と戦禍
「……様! 姫様!」
「……ぅんん?」
誰かが私を呼ぶ声がして目が覚め、意識が少しずつ戻ってくる。ある程度覚醒してからひやりとした石畳の感触を感じると、すぐに我に返った。
「あぅ……頭痛い……」
ガンガンと頭が締め付けられるように痛む。昔冗談でワインを飲まされた翌日の頭痛に似てる。
「姫様! ご無事でしたか?!」
先ほどから呼びかけが続くほうを見ると、重そうな甲冑を着た騎士が一人、私の横にしゃがみこんでこっちを見ていた。
「よかった。ご無事なようですね」
「ええ、まだちょっと頭が痛いけど、どうにか。……あなたは?」
「イミュロウジ王国国立軍、騎士団団長のレイドです。このたびは姫様が幽閉されたと聞いてお迎えにまいりました」
「私が……幽閉?」
そう言われてから、あたりを見渡してみると、周りの壁、床、天井が石造りで、正面に扉の部分が開いた鉄格子がある。確かにここは監獄のようだ。しかも、私の位置から鉄格子越しの正面に、同じような牢屋が三部屋見えるが、そのどれにも窓がない。湿っぽい空気、土臭い香りとあわせて考えると、地下牢なのだろう。
そして、痛い頭を奮い起こして今までのことを思い出す。あの名前も忘れた指揮官が私をここに運んできたのか。
牢屋と牢屋の間の通路の端から月明かりらしい光が差し込んでいるのが見える。そして、その光に照らされた、倒れた男の姿も。
「あなたが開けてくれたの?」
空いた鉄格子の扉を指さしながら聞いた。
「はい。入口に3人ほど牢番がいましたが、ただのゴロツキのようでしたので倒して鍵を奪いました」
「そう。ありがとう。……それで、ここはどこ?」
「街道を少し外れた森の中です。モンスターは多いですが、敵兵は来ないでしょう」
「わかったわ。……とりあえず、ここを出ましょう。戦争を止めないと」
呟いてから立ち上がろうとする。だが、激しい頭痛がまた起こり、足腰に力が入らずその場に崩れてしまった。
「姫様、その様子では無理でしょう。それに……もう戦争は止められません。指揮官のラルトスが昨日、襲撃命令を発表しました。現在軍はアスティアに向けて進軍中です」
落ち着いた声で、レイドが言った。
「馬鹿言わないで! こんなふざけた戦争、認めてやるもんですか。止めないと」
頭痛の中、怒鳴るように訴える。
「ですが姫様、そのお身体では……もうすぐ本国から救援が来るはずですし、今しばらくご養生ください」
「……救援?」
「ええ、同僚の緋沙音に伝令を頼みました。もう着いているはずです」
国に、伝令? 私が単独で出てきたことがばれる?
「~~~! レイドの馬鹿! 私はお父様の命に背いてきたの。そんな私に救援が出るわけないじゃない!」
それに、救援が来ないのは別にいい。構わない。でも――
「でも、私がつかまって、救援がでないなんてラクティが知ったら、あの子がこっちに来ちゃうじゃない!」
そうなれば最悪だった。私の命すら危ないのに、ラクティまで危険になるとしたら……
「ですが姫様……」
申し訳なさそうにレイドが口を開ける。だが、それを黙りなさいと一括して閉じさせた。
「とにかく、入れ違いになる前に早く戻らないと。レイド、肩を貸して」
じゃり……
そこまで言ったとき、牢の入り口のほうから足音が聞こえた。同時に、私とレイドの顔がこわばる。
「しまった、増援か」
そう呟くように口にしたレイドは立ち上がり、私を置いて牢の外へ出た。そしてかちゃりと鍵を閉める。
「レイド! 何考えてるの!」
「お許しください姫様……ですが、こうして鍵を閉めている限り中は安全です。姫様は離れていてくださいね」
レイドが、傍らに立てかけてあった盾を手にもち、空いた右手で腰の剣を抜いた。
そして、――ゴロツキたちが入口から降りてきた。数はおよそ10。
「入口の二人をやったのはてめえか?」
先頭に立つゴロツキがレイドに尋ねた。
「ああそうだ。俺以外に誰がいる?」
挑発するように答える。そして直後、
「やれ」
後ろの方にいるゴロツキが一人、短く言った。
戦闘が始まった。
手斧に、剣に、棍棒にと、それぞれの獲物をもったゴロツキたちが3,4人まとめてレイドに襲いかかる。
それを盾で受け、押し返し、隙を見て力任せに剣を振る。
狭い通路では、その戦法は有効なようで、はじめの集団はそれだけでほとんど動けなくなっていた。
「ハッ、てめえらみたいなゴロツキが俺を倒せると思うなよ?」
さらに挑発し、今度は自分から突き進む。すぐに一人、二人とさらに倒してゆく。
だが、私は後ろから見ていた。レイドの腕や横腹が、何度か切られ殴打されるのを。
そして、動きがだんだん鈍くなってきて、いつしか、レイドは囲まれてしまっていた。
囲まれて殴打されても、それでもレイドは雄たけびを上げながら盾を押し、剣を振るった。
そして、――
「うぐっ」
レイドの兜をたたき割るような鋭い斧の柄による一撃が、最後のゴロツキから打ちこまれた。
「へぇ、さすがは騎士様ってところか。俺の一撃で倒れねえなんてな」
残ったゴロツキが言う。
「お前、……本当にただの郎党か? 今の動き……そこらのゴロツキのものとは思えん」
レイドが打たれた頭を抱えながら尋ねた。
「ちげーよ。俺は雇われ盗賊親分ってところだ。――本職はヒットマンなんでね」
「ゴロツキに見せかけたヒットマン、だと? 姫様を暗殺などさせんぞ!」
「勝手にほざいてろ。俺はお前程度、怖くも何ともない。むしろ怖いのはその姫さんの魔法だが――どうやらそれもなさそうだな」
そこまで言って、その男は手に持った大きな斧の先でふらついて油断したレイドの胸を打つ。
甲冑まで着こみ、かなり重量のありそうなレイドが2メートルほど後ろに吹っ飛んだ。
「がはっ」
「レイド!?」
私は鉄格子に掴みかかってレイドに近寄って呼びかけた。倒れたレイドの顔に、嫌な感じの汗が流れていた。
「癒せ、ファースト……痛っ」
回復魔法を唱えようとしても、途中頭痛で詠唱が遮断される。
「む、無理をなさらないでください姫様。ここは私に任せて」
苦痛の表情で立ち上がりながらレイドが言う。そして続ける。
「刺し違えても、姫様はお守りいたします」
「無理しないで! 逃げなさい! 私ならいいから逃げて!」
そろそろ、私は我慢ならなかった。私の国の兵が、私のために傷つくのは、私の最も嫌いなことだ。
王は民に傷つけさせて立つのではない。王は民をその傷から守るためにあるのだ。
だが、私のそんな思いとは裏腹に、レイドはこっちを向いて言った。
「逃げるですって? 何を馬鹿な。
行くあてもなくさまよい、死にかけた子供の私を拾い、育て上げてくれたイミュロウジの国への恩返しがまだ済んでもいないのに、
その王女を見捨て逃げるなど……これほどわが身許せぬことはございません。
私はイミュロウジ王国王立軍騎士団団長レイド! 私の誇りと名誉と命にかけて、姫様をお守りします」
満身創痍で、しかし高らかにレイドが叫ぶ。
それはレイドの覚悟なのか、騎士としてのプライドから来た意思なのかわからない。
でも――私にはその頼もしさがうれしかった。
私の国が愛されていることが、うれしかった。
覚悟が足りなかったのだ、私には。
レイドほどの覚悟があれば、レイドをここまで傷つけることもなかったのだ。
「……さがりなさいレイド」
落ち着いた声だと、自分でもわかった。
「姫様、なにを……」
「下がりなさいと言っているのです!」
鉄格子の間から腕を出し、ゆっくりと右手を掲げ、左手を軽く添えながらゴロツキの男に向ける。
レイドが下がったおかげで、射線上に障害物はない。集中して頭の中に魔法の構成を紡ぎ上げる。
激痛が走る。だが、集中を切らさず詠唱を始める。
「凍りつき射抜かれなさい……」
ますます激痛が走る。魔力が身体から暴れてこぼれ出るのを感じる。だが、それでも中断はしない。
「う、……うおおおおお!!」
ゴロツキの男がおびえた顔でこちらに突っ込んできた。
まずい、間に合わない……
しかし、私の視界の片隅で、レイドが背中に担いでいた槍を構えているのが見える。
突き出された槍を、男が払い落す。その一挙動だけで、時間は十分だった。
隙だらけの男に向け、激痛を耐えて、叫び上げる!
「アイススピア!」
私の手の先から巨大な氷の槍が放たれ、男を吹っ飛ばしたのを見て、私の意識はまた途絶えた。
―――――
「……様! 姫様!」
「……ぅんん?」
誰かが私を呼ぶ声がして目が覚め、意識が少しずつ戻ってくる。ある程度覚醒してからひやりとした石畳の感触を感じると、すぐに我に返った。
「あぅ……頭痛い……」
気絶する前にもおんなじようなこと言ったな、とぼんやり考える。でも、一度意識がはっきりすると、ずいぶんと頭痛は治まってきた。
「姫様、ご無事でしたか」
また傍らに来ていたレイドが言った。
「無事って……あなたの方がひどいじゃない」
そういって、私は笑った。
「ほら、頭出しなさい。さっき打たれたところ治してあげるから」
簡単な治癒の魔法をレイドの頭と胸にかける。治療の間、レイドはずっと申し訳なさそうにしていた。
「すみません姫様……」
「すみません、じゃないわよ。謝るくらいなら感謝なさい」
うん、どうやら軽口をたたけるほど私は回復しているようだ。
そう思った瞬間
地面を揺さぶるような巨大な衝撃と、雷より大きな轟音が鳴り響いた
「なんだ?!」
レイドが叫びながらたちあがり、「見てきますっ!」と言って牢から走り出た。
私も立ち上がって牢を出、外へ向かう階段を上った。
「なに、……これ?」
私にはこれしか言えなかった。
「軍が、壊滅……したのか?」
レイドも、それしか言えないようだった。
街道には巨大な爪あとのようなものが刻まれ
進軍していた連合軍は跡形もなく消えていた。
数多くの死体と、数多く燻ぶり立ち上る煙だけを残しては、なにも。