Tales of Novaex ―― プロローグ

泥棒猫の魔法使い

「ファイアボルト!」
 小さな火球が目の前の男の足元に飛ぶ。それに驚いた男はその場に尻もちをついた。
 そして、私はすかさず振りむいて逃げ出す。つかまってしまえば、胸に抱いているこのパンが奪われ今日食べるものがなくなる。

 街から飛び出し、森に入る。少し入ったところに、私の家があった。……家、といっても大半が焼け落ち、屋根のある部屋はひとつしかない。その部屋も、雨漏りがひどい。

 でも、私にはこの家と、この家の本しかない。ほかのマイリーンたちの部族にはまじれず、街に行っては盗人扱いされる。
 ここしか、安住の地ではないのだ。

―――――

「ハッ、ハッ、ハッ……」
 今日もパンを盗んで逃げ出し、路地裏に入り込む。ちょっと進んでさらに曲がり、通りの喧騒が小さく聞こえる場所に座り込む。
 そして、少しの間息を整えていると、
「ダメじゃない、人のものを盗んじゃ」
 赤ワイン色をしたローブを着たエルフの女性が私の来た道に立っていた。
「……ファイヤボルト!」
 その女性には悪いと思いながらも、即座にその足元に火球をぶつける。そしてそのすきにまた逃げ出そうと……
「自然の力よ、ひれ伏しなさい、スワロウエレメント」
「え?」
 だが、私のもくろみは外れた。女性が何か小さく口にすると、火球は女性の足元まで飛んで……消えた。
「魔法、人に撃っちゃダメよ。危ないんだから」
 女性は私がまるで何もしていないかのように、こともなげに近寄ってくる。
 しかも、……真剣な顔をしているのに、どこか微笑むように。
 いや、逆だ、微笑んでいるのに、笑ってない。
 この人、魔法使いだ。なら――今度は、本気で狙う。
「くっ……ファイア」
「跪きなさい、フラッシュ」
 だけど唱え始めた途端に何かされて、私は突如仰向けに転んだ。
 今のは、フラッシュ? 詠唱が速すぎてなにがなんだか全然わからない。
「あなた、誰?」
 単純に湧きあがった疑問を起き上がりながら尋ねてみる。
「ふふっ、ただの魔法使いよ」
 私の問いにも、私が立ち上がるのにも、彼女は笑っていた。
 悔しい。なにもかもが見透かされてるような感じがする。
 でも、こうなったらやってやる。私のマナが尽きるまで攻撃あるのみ。それしか手は思い浮かばない。
「ファイアボルト!」
 再度唱える。だが、また空しくも目の前で消え去る。
「ヘイルストーン!」
 今度は氷の魔法。だが――
「立ち昇りなさい、ファイアストーム」
 人一人分ほどの炎柱が彼女の前に吹きあがり、私の魔法を溶かしつくす。
 ――どうしようもない。私の魔法はこれで全部だ。彼女と私の魔法には圧倒的に差がある。
 さっきよりずっと悔しくて、なんだか惨めにすら思えてきて、私は下を向いて唇をかんだ。
 
 本当に、もうどうしようもないの? 
 この女性に勝てなくてもいい。でも、一泡吹かせることぐらいは……

 ――ひとつだけ、可能性があった。
 薄汚れた私のローブの内ポケットに収まっている一冊の本。母の遺してくれた唯一の本。
 その本の、しおりの挟まったページを開き、即座に読み上げる。
「月夜の闇よ、星を飲み込め、グルーミーエフェクト!」
 詠唱が終わったとき、私の両手は真っ黒な闇に包まれていた。
 ……いける、これならいける。
「やぁあああああ!」
 思い切り女性に向けて突進する。間合いに入ればこっちのものだ。
 だが――
「へぇ、暗黒魔術師の卵なの。とりあえず、跪きなさい、フラッシュ」
 先ほどと同じように、私は転ばされてしまった。そして追撃が来る。
「砂嵐の中で夜を感じなさい、サンドマントルネード」
 あいかわらずしれっとした高速詠唱で、私の周りに小規模な砂嵐が吹き荒れる。
「あなた……おもしろそうね」
 そんな言葉を聞いたあたりで、、私は眠りについた。

前に戻る

 


―――――

 目を覚ますと、見知らぬ天井がまず目に入った。そして次に、高級そうなシーツにベッド。
「ここ……どこ?」
 周りを見渡しながらつぶやく。どうやらどこか品のいい家の一室なのだろう。大きなガラス戸を通して赤い夕陽が部屋に差し込んでいた。
「あ、起きたみたいね」
 ぼんやり外を見ていると、部屋の反対側の扉から、さっきの女性が入ってきた。一瞬身構えて、彼女を観察する。彼女は高そうな黒いドレスを着ていた。
「ここ……どこ?」
 さっきと同じ疑問を、今度は彼女にしてみる。
「王宮の一室よ」
 彼女はやはりまたしれっと答えた。
「王宮? なんで私が王宮に?」
「私が連れてきたのよ。あなたを教育するためにね」
 彼女は私のベッドの前まで歩み寄り、二冊の本を私の前に置いた。
 一冊は私の持っていた母の薄汚れた本、もう一冊は皮のカバーのついた、装丁の豪華な……魔術書だった。しかも表紙には、どこかの家の紋章が描かれている。
「あなた……何者?」
 私は目の前で優雅にほほ笑み続けている彼女に聞いた。
「あら、紹介してなかったわね。このイミュロウジの王妃、アークよ。以後よろしく」

  そして私はアーク王妃に引き取られ、彼女が死ぬまでの3年間、魔術の教育を受けた。
 当時7歳の私は、そのまま何も知ることなく、ルナティックお嬢様とラクティお嬢様の教育係として生活してゆく。